2/28/2015

現実即理想


細かく突き詰めていけば、この一瞬一瞬の行動や選択、何を思うかによって、自分の未来は常に変わって行くわけだけど、その後の人生がそれまでとは全く違う方向に向かって動き出した転機が何回かある。

その中でも、one of the biggest と言えるのは、やはりあの島での2年半に亘る波乗修行生活と、そこでの師匠との出会いだろうと思う。それが無かったら今の自分というものは存在しないと断言できる。

先週その島に4年振りに行って来た。



低気圧が来るタイミングに合わせて仕事を調整するのが上手くいかず、2ヶ月程待たされたけれど、「ここだ!このタイミングしかねー!」とばっちりハマった一週間になった。

島行きを決めた日に、これまた偶然なのか必然なのか、島にいた頃にずっと一緒だったバディーから電話があり、その週末にウェディングパーティーをやるから、と言うではないか。

こんなにも上手く物事がかみ合うものなのか。あまりにも吉兆な出来事に遠足の前夜の子供のように、胸の高まりはとどまることを知らずなかなか寝付けなかった。

それも船旅。最近就航した新しい旅客船、橘丸だ。





早朝4:30頃アナウンスで目が覚めてまず最初の島に到着。考えてみれば最後に船に乗ったのは、その島が噴火してガスマスクが無いと上陸できない、という時だった。もう10年くらい経つだろうか。

時化によりイルカで有名な次の島には着岸できずに欠航が決定。船は待ちに待った最終目的地 Tacos Island へと航路を進んで行った。



その島が近づくにつれ沢山の思い出が頭の中を巡り出し、つかの間のノスタルジックなひとときを誰もいない甲板でゆっくり味わうことができた。

この旅は、もちろん波乗りがメインだけれど、師匠に会いに行くというのもこの旅の大きな目的だ。



それは楽しみであると同時に、緊張を伴う。

その緊張は、決していやな感じのナーバスというようなものではなく、その緊張により自分の精神が引き上げられて、普段は引き出されることのない能力が顔を出すような、自分にこんな能力があったのかと思わさせられるような、何かこうクリエイティブな緊張感と言える。

そして、もうひとつ。それが目的という言葉に当てはまるかどうか分からないけれど、今の自分のルーツがあるこの島で、当時を振り返り、過去の自分と現在の自分の意識を繋ぎ、それを未来の自分へと拡げていく、ということをやりたかったのだ。

普段のせわしない生活の中にいると、なかなか自分と向き合う時間がなく、自分の立ち位置を見失ってしまうことがよくある。

目を瞑って当時の自分に意識を持っていくと、やはりその場にいるだけあって、すっかり忘れていたようなことが、目まぐるしく浮かんで来る。

師匠の住む“波浪庵”に初めて訪れた時のこと、その後数ヶ月に一回程度ではあるが、何かと言い訳をつけて波浪庵に説法を聴きに度々訪ねに行ったこと、忘れることができない強烈に記憶に焼きつけられた極上の波の日、島を引き上げてインドに修行に行くと決めた時のこと、、、。



挙げればキリがないけれど、その頃を思い出してみると、当時夢にも思い描くことができなかった自分というものが、今ここに確実に存在している。

それはそれは摩訶不思議な感覚だ。

自分であるのに実態が無いというか、同じ自分であることは確かなのに、如何にもこうにも掴みどころが無いというか、果たしてどの自分が本当の自分なのか、、、

それがまた面白い。

よく5年計画とか10年計画とかを耳にするけれど、考えてみれば5年も前に立てた古くなった計画にしがみついて、それに基づいて行動するなんてつまらなすぎる。

何が起こるか分からないから、そのプロセスを楽しめるわけで、結果を先に立ててそれに突進して行くなんてことは、僕にとっては映画の結末を知っていながら知らないフリをして見ているようなものだ。平凡過ぎて刺激がなさすぎる。

当時、インドから帰って来て、この先の人生をどう歩んでいくか、どうしたらいいのか皆目見当がつかなかった。島に戻らないとは決めてはいたものの、どこに住むか、仕事はどうするのか、暗中模索状態だった。

そしてその時ここ東浪見のGREEN ROOF SURF ASHRAMにいた師に帰国の挨拶をしに行ったのが、なんとそのまま今に至っている。そして、現在の自分の姿というものは、当時思い描いていた未来像とは全く別のものになっている。

でも、それでいいのだ。というか、それがいいのだ。

以前は、物事が思い通りにならずに、理想と現実の間で大分苦しんものだけど、今のこの状態は様々な因縁によってそうなるべくしてなっているということ、そしてそれは避けられないということが、様々な体験を通じて最近少しづつ解ってきた。

そうすると、思い通りにならなかった時に、その現実を受け入れる余裕が出てきて、臨機応変にそこから新しい自分の未来像というものを描けるようになるのだ、ということに気がついた。

毎年1回は必ず帰っていたこの島に、4年も行けなかったというのは、それほど自分の身の回りで様々な事が起きていたということだと思う。

今 思えば、何でそんなことで悩んじゃうの?というようなことで頭を悩ませていたのが不思議だけれど、去年の前半は今までの人生でも稀にみる精神的苦悩に翻弄 され、それこそ人生お先真っ暗状態に陥っていたのが、後半からアレヨアレヨと思いもしなかったようなことが起こり出し、それがこの先の将来どう繋がってい くのか、否、繋げていけばいいのか、今は精神的余裕も生まれ、楽しみで仕方がない。

だからこのタイミングで島に行くことができたのだろう。




今の自分の立ち位置というものを再確認できたし、それを踏まえて自分のやるべきことが見えてきた。

波乗陀仏がいつもいうように、

「現実即理想、理想即現実 」

どこまで本気でそれを思えるか。





どう思うかは自分次第。それによって同じ局面に直面していても、まるで違う世界が展開して行くということ、それがほんの少しだけ解ってきたような、この先どうなるか全く予想ができないことが実は本当に美しい景色を見せてくれるということ、そしてそれを楽しめるということがそれこそ幸せな奴だということだと、改めて実感したトリップになった。

 
Photo from 西浜物語







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